「五節舞姫」にまつわる記述

Description about “Gosechi-no-mai”

 


 

 このページでは、王朝文化の中で「五節舞姫」がどのように受容されていたのかを紹介します。

(※それぞれの文章はクリックで拡大表示できます。)

 

On this page, we explain how Gosechi-no-mai (a particular female dancer who performs at imperial court for harvest dance ceremony) was depicted in culture under the dynasty.  (※Click the sentence to zoom in.)

 

 

 

 

枕草子




 

 

 

 

紫式部日記



 

 

 

源氏物語





 

 

 

平家物語



大正の御大典に復興された日本に唯一残る女の舞楽「五節舞」

昭和の御大典当時の大嘗祭の「五節舞」

舞姫の人数、大嘗祭は五人、新嘗祭は四人

この写真は控えを含め八人の舞姫

五節とは五度袖を翻して舞うこと

 

五節舞 

起源 年中行事秘抄 本朝月令

天武天皇の吉野におははしし時、日暮琴を弾いて興がらせ給ふ、此の時前岫の下雲気起り髣髴として神女現れ曲に応じて舞ふ、そのさま天皇の御眼には見えて臣の眼に入らず、やがて天女は袖を五たび挙げて五変す、よりて五節といふ、とあつて、その天人の謡ひし歌は、

少女ども少女さびすも唐玉を袂にまきて少女さびすも

これ五節舞の起源なる。

 

 

 

七世大木平藏

本行 大嘗祭における「五節舞」の舞姫



 

(解説は、現在準備中です)